スポンサード リンク

2015年01月08日

子どもの体力低下 原因 現状 対策

子どもの体力低下 原因 現状 対策
 現在、子供の体力低下が大きな問題として取り上げられることが多くなった。実際、子供の体力は昭和60年ごろから現在まで低下傾向が続き、体力・運動能力の調査の記録を見てもそれは明らかである(注1)。また、運動する子供としない子供の二極化の傾向も指摘されている。体力低下による問題を顕著に表わしたものとして、「背筋力」の低下があげられるだろう。1960年代を100%とした時1990年代は80%にまで低下している。これにより、難産を引き起こすなどの例もあるようだ。また、姿勢が悪くなり集中力を欠くことや、電車で立っていられないなどの問題も発生している。この「背筋力」は、外で遊ぶことにより、確実に身に付くものであり、子供の外遊びの時間が減少していることは、明確である。では、子供の外遊びの時間を増やし、子供の体力低下を喰い止めるには、どのようなことが必要だろうか。
 私は、子供の外遊で遊ぶ時間が減少している原因として、遊び場の減少とTVゲームの普及があげられると考える。昔に比べ、外で安全に遊べる場所が減り、外で遊んでいた時間を家のなかで過ごすようになった(注2)。親が、子供を外で遊ばせないのは、ひとりで家を飛び出して遊ばせるのには今の世の中は危険すぎるというのが原因の一つである。また、ある程度大きくなるまでは、公園でさえ危険と感じる親もいるようだ。そして、親は、手のかからないTVゲームを子供に与え、子供は家の中でひたすらそれをやり続ける。一方、体力面において優れている子供も、純粋な外遊びで鍛えられたものではなく、スポーツ少年団などの影響が強いと考えられる。スポーツ少年団に入り、体力を向上させること自体悪いことではないが、このことからも、体力のない子供の底上げには「外遊びの場所」をどのように確保するかが重要である。
 今、身体をぶつけ合って競い合え、思いっきり走り回れる、安全かつ気軽な「昔の遊び場のミニュチア」のような場所が必要である。私は、そのためには、学校の開放が重要であると考える。その理由として、広い校庭、木のぼりのできる木、遊具、プールなど、学校には様々な設備がある。私は、小学生の時は、友達と一緒に放課後、校庭で遅くまで遊んで帰るのが日課だった。放課後ならば、子供も集まりやすく、外遊びを行いやすい。また公園などよりも、安全面を確保しやすいともいえるだろう。このような遊び場を、放課後のみならず、休日や、夏休みなども行うのが良いだろう。夏休みには、プールを開放し、使用するなどの案も考えられる。それには、安全管理、責任などの面で地域、社会の協力も必要となるだろう。またTVゲームは「ゲーム脳」という言葉に代表されるように、子供に何らかの悪影響を与えているのは、明白である。今、煙草には、宣伝の規制があり、またパッケージに啓発表示が義務付けられるなどの措置が取られている。TVゲームも煙草と同じように防止措置が取られるべきである。
 現在体力の低下が、電車で立っていられない、難産の原因になっている。もはや体力の低下の問題は、社会全体の問題になってきているのだ。この問題を解決するには、親、学校はもちろん地域、社会の協力も必要である。
posted by レポートドットコム at 00:00 | Comment(0) | スポーツ政策 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月05日

how language are leaned 言語習得のレポート(英語)

 
We Can Acquire Earlier What We Are Interested In

We learned three main theoretical positions to explain first language acquisition: behaviourism innatism and interactionist hypothesis. Every theory are logical and I was convinced of these but I believe the most effective and important way to acquire first language is interaction because the child who is leaning first language can be center of conversation.
People can remember and keep something which we like. For example, I love basketball but I am not crazy about science. I remembered the name of Michel Jordan and specific rules just one time and never forget these but it is easier to forget about science like H2O means water or the person who discover the law of gravity, Newton and what it is. Here is a suitable argumentation about Jim. According to How Language are learned “He was hearing child of deaf parents, and his only contact with oral language was through television, which he watched frequently. The family was unusual in that the parents did not use sign language with Jim. Thus, although in other respects he was well cared for, Jim did not begin his linguistic development in a normal environment in which a parent communicated with him in either oral or sign language. A language assessment at three years and nine months indicated that he was well below age level in all aspects of language. Although he attempted to express idea appropriate to his age, he used unusual, ungrammatical word order. When Jim began conversational sessions with an adult, his expressive abilities began to improve. (Lightbown, and Spada 22)”. Obviously he was passive and TV was going on even if he is not care about it when he was watching TV. On the other hand he is active, talking with adult. For example, this is one example of acquisition: how child learn milk is milk that I suppose. Child who don’t know the word of “milk” is crying and Mother ask “milk?” and give milk. Then he may understand what is white and mom give me is milk when I am hungry. Once again when he was hungry, he may cry “MI..” and parents ask “oh, you mean milk”. And he recognizes the difference between pronunciation he did and that mom did and modify it later. In this conversation lead is the child and they talked about the topic in interaction is what the children is interested in or need to say like milk. Interaction is important to learn first language because when in it people talk the topic which child is interested in and people talk for child.
I do not say the other two theories are failed but I can say we cannot get something when we are passive to learn. No, we need to be active to learn. In this point I believe interaction is the most important thing to acquire first language.



これは第四版の電子ブックです

Works cited
Lightbown, Patsy M., and Nina Spada. How Languages Are Learned. 3rd. Oxford: Oxford UP, 2006. 22. Print
posted by レポートドットコム at 21:25 | Comment(0) | 言語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

SLAにおけるinputとinteractionの役割から日本の英語教育

SLAにおけるinputとinteractionの役割から見た日本における英語教育

 私たちは,日本で行われている英語教育について,議論することがある。私の経験では,議論の多くは中高で6年間学んだのにもかかわらず,英語を話すことができないのはなぜかなど,否定的なものが多い。近年において,様々な理論や考え方に裏付けされた新たな教材が開発されたり,入試問題にリスニングが多く登場するようになったり,小学校から英語教育を導入されるなど,日本における英語教育も少しずつ変化が起こっている。しかし,多くの場合中学校,高校で行われている英語教育は,文法を学び,英語を日本語に訳していくということが中心であり,リスニングの能力向上のためには,多くの場合リスニングのみを行っている。この様な英語教育がはたして,学習者の英語力向上につながるのだろうか。私は,このレポートを通し,inputとinteractionが第二言語習得(SLA)にどのような役割を果たしているかについて考察し,日本の英語教育へ示唆できる点について論じていきたい。
 まず,inputとinteractionはSLAにおいて,どのような役割があるのかについて説明していきたい。これに関しては,観点ごとに考え方が異なり,行動主義的観点,意識主義的観点/生得論主義観点,相互作用的観点のそれぞれの立場におけるinputとinteractionの役割が違う。
 初めに,行動主義的観点についてだが,「行動主義は,1940年代から1970年代まで,特に北米で第二言語及び外国語教育に強力な影響を与えた。」( “Behaviourism had a powerful influence on second and foreign language teaching, especially in North America, between 1940s and the 1970s.” 1)) (Lightbown, and Spada 34)ものであり,この観点では、「学習者を”language producing machine”とみなし,inputとはstimulus【刺激】とfeedback【フィードバック】を意味する。2)」(External Factors in SLA(2) 1)そして,学習者はその刺激(言語形態やパターン)をまねすることで言語を身につけるというものだ。一方,フィードバックとは,学習者への話し相手の反応であり,学習者のout putが正しかったかどうかを学習者自身が分析するためのものである。この観点では学習者の内在的な言語処理は考慮されず,言語は,言語活動は刺激の真似をし,フィードバックを得ることで身につけられるものであり,interactionやoutputは重要なものではないと考える。
 次に,意識主義的観点/生得論主義観点についてである。これらの観点は,「人間は生まれながらにして,言語を習得する能力を有しinputは,その能力を伸ばすためのtrigger【きっかけ】にすぎないという観点3)」(External Factors in SLA(2) 1)である。つまり,人間はChomskyが提唱したUniversal Grammarのように,人間は生まれ持って,言語を習得できる機能(UG)を有するため,input (ここではtriggerのこと)が与えられれば,完全な文法を身につけることができるという観点である。逆に言えばinputが行われさえすれば言語が習得されるということである。
 意識主義的観点/生得論主義観点に立つ代表的な人物は,ChomskyのほかにKrashen がいる。Krashenはinput hypothesisを提唱した。「input hypothesis は理解可能かつi+1の言語に触れる時,習得は起こる」(the input hypothesis is that occurs when one is exposed to language that contains i+1. 4))(Lightbown, and Spada 37)というものである。ここで言う,iとは学習者のことであり,+1とは学習者の持っているレベルよりも少しだけ上のレベルということである。彼はまた,inputを受け入れる感情的状態や動機が必要であることや,話すことは言語習得の結果であり,その原因とはならず,学習者のoutputは言語習得に直接役に立たないとのべている。つまり,この観点では,inputが与えられると人間の生まれ持った機能にきっかけを与え,言語を習得していくという考え方で,この考え方に於いては,interactionやoutputは言語習得に影響を与えないものとされている。
 最後に,相互作用的観点であるが,これは「言語環境(外的要素)と学習者の内在化されたメカニズム(内的要素)が複雑に相互作用した結果,言語は習得されるという観点5)」(External Factors in SLA(2))である。この観点では,inputの役割は,これまで取り上げてきた観点よりも小さく限定的である。Longは言語習得のためにはmodified interactionが重要であるとのべている。なぜなら,interactional modification(修正)がinputを理解可能なものにし,この理解可能(comprehensible)なinputが習得を生み出すので,結果的にinteractional modificationが習得を生み出すからである。つまり,Longは言語習得に於いて,ただ単にinputを行うよりも相互関係の中で行う方がより重要であると説明した。
さらに,Swainはもう一歩進んだとらえ方をして,Comprehensive Output Hypothesisの中でアウトプットにより正しい文法知識を得る機会が与えられるとのべた。また,アウトプットにより,流暢さや自分は何ができていて何ができていないかの気づき,新しい単語を使ってみようなどと考える自己学習効果,さらに言語のことを言語で考える客観的分析が起こると説明した。相互作用的観点についてまとめると,この観点ではinputは必要なものであるが,outputやinteractionの中で,難しいinputがcomprehensive inputになる。さらに,outputを通しより正確な文法知識を得る機会が与えられるため,interactionやoutputがより重要と考えられる。
これまで3つの観点における,inputの役割の捉え方やinteractionの重要性についての考え方の違いについて説明してきた。結論から言うと,とらえ方の相違はあるにしても,どの観点から見てもあるレベルではinputはSLAに於いて必要であると言える。また,相互作用的観点から見てinteractionやoutputが非常に大切であるということも十分に理解できる。では,これらをふまえた上で,日本の英語教育について考えていきたい。
まず,文頭で述べたように,日本において多くの授業が英文を読み日本語に訳していくという形で進む。実際の大学入試で求められる英語力も,訳読の力や文法知識を問う問題が多いのでこの様な形態になるのだろうが,多くの場合,演繹的に文法の説明をして,訳読する力を身につけ,英文を日本語に訳していく作業が一般的な日本での,教科教育における英語のスタイルである。このスタイルはinputの量が多いと言えるスタイルではない。すなわち,行動主義的観点,意識主義的観点/生得論主義観点,相互作用的観点全ての観点から見て,理にかなっていない。行動主義的観点では,十分な刺激がなく,真似をする量も少ない。また意識主義的観点/生得論主義観点や相互作用的観点から見ても,inputの役割を全うできないだろう。
また,リスニングの教材などでリスニングの授業を行うことがあるが,私の経験から言うと絶対量(inputの量)が少ない。また,訳読の授業でも,リスニングの授業でも,生徒がoutputをし,生徒が生徒間や生徒と先生の間で英語を使ってコミュニケーションをとるということはまれである。これは,相互作用的観点からみて,重要であるinteractionやoutputが行われていない状態である。
日本の英語教育の方法はしばしば議論の的になり,多くの問題点が指摘される。inputやinteractionという視点から日本での英語教育を考えた時,inputの量が少なく,interactionについてはほとんど行われていない状態だ。これまで述べてきたように,inputやinteractionは英語を学ぶ上で非常に大切な要素であり,これらの要素を十分に含んでいない日本における一般的な英語教育は,あまり効果的でないと考えられる。日本の多くの場所で行われている英語教育をより良いものにしていくには,英語は実技であるという認識を持ち,生徒がinputの量を増やし,英語を使い積極的にコミュニケーションをとるようなinteractionやoutputをする場が多い授業をおこなっていくべきだ。



引用文献
1)Lightbown, Patsy M., and Nina Spada. How Languages Are Learned. 3rd. Oxford: Oxford UP, 2006. 34. Print
2)レジュメ(External Factors in SLA(2))
P1より
3)レジュメ(External Factors in SLA(2))
P1より
4)Lightbown, Patsy M., and Nina Spada. How Languages Are Learned. 3rd. Oxford: Oxford UP, 2006. 37. Print
5)レジュメ(External Factors in SLA(2))
P1より

参考文献
Lightbown, Patsy M., and Nina Spada. How Languages Are Learned. 3rd. Oxford: Oxford UP, 2006.

こちらが第四版の電子書籍版です。
posted by レポートドットコム at 21:21 | Comment(0) | 言語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。