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2015年01月13日

今後の柔道のあるべき姿

 本章までの拙い知識の中で、私が考える柔道の進むべき姿を考えてみたい。柔道の創始者である嘉納治五郎は「時代の流れの中」でのあるべき姿を考えてきた。世界のスポーツ柔道の中で、「勝負」をしていくことは柔道発展のためにも間違いなく大切であり、それが時代の流れなのだろう。その中で、柔道は「スポーツ」であるととらえるべきだ。それができないならば、「柔道」の国際大会に出場するべきではなく「嘉納治五郎柔道」という新たな種目を日本で作るべきだ。今後、日本はスポーツの柔道を発展させていくべきであり、そのスポーツのとらえ方を見直さなければいけない。ただ柔道の母国日本で行う柔道として、柔道に携わるもの、特に指導者は柔道の歴史を学び、そこに存在した、嘉納治五郎の精神を持ち、スポーツ柔道の枠組みの中で生かしながら、柔道に接するべきである。
posted by レポートドットコム at 22:54 | Comment(0) | 武道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

勝利至上主義の柔道と体罰について 

 本書では「勝利至上主義」が体罰の温床になっていると帰結している。そして、柔道中での体罰について言及している。私は、「勝利至上主義」に体罰の原因を帰結させることには少し違和感を覚えた。私は武道経験者ではないのでわからない部分も多いのだが、武道は戦うものなので体罰が生まれやすい場所なのかもしれない。ただ、体罰はどの競技でも起こっている。そして、何より「勝利至上主義」であっても体罰の存在しない世界は世界を見渡せば、いくらでも存在する。体罰の問題の根底に存在するものは、柔道に対するとらえ方、スポーツに対するとらえ方の問題である。これは武道のみの問題ではなく、日本のスポーツ界全体が、「スポーツとは何か」を見直さなければいけないものである
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「嘉納治五郎」が目指した「講道館」と現在の柔道 

 嘉納治五郎は多くの古流柔術が存在する中「講道館」を設立した。柔道の目的は、勝負・体育・修身としていたが、晩年には、精力善用・自他共栄という言葉に凝縮されていった。また、嘉納は武術のフィールドの伝統の中で合理性や科学性をとりいれ、武術を近代社会への適合させていった。そして、戦後は端的に言うと「スポーツ化」されたものとして変化していった。私としては、現在の柔道は創始者の嘉納治五郎が考えた「理念」が全て継承されているわけではないと感じた。ただそれ自体が悪いことではない。なぜなら、現在は柔道が世界的に発展している状態であり、そのスポーツ柔道はスポーツとして大きな価値を持つからである。

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