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2015年01月10日

英語教育レポート:日本におけるライティング指導の改善 

日本の高校におけるライティング指導の改善
 高校の学習指導要領には、ライティング指導で身につけるべきものがいくつか書かれている。その全てを列挙することはできないが、「文章の構成や展開に留意」することや「場面」にあわせて使い分けること、「書く過程」を重視することなどがある。しかし、現在の日本の高校の一般的な授業ではこれらは達成しきれないように感じている。理由は複合的だが、大きな理由として、「短文の英訳」と「添削の仕方」が原因である。
 まず、ライティングの指導をするときに「〜(日本語)〜を英語に訳せ」というものが圧倒的に多い。これは日本語の「短文」を「英訳」しろということである。この結果として段落で英語を構成する力がつかない。また、英文を書くときに日本語を書いてから英語に直す癖がつき時間がかかり、不自然になる。さらに、コミュニケーションのツールとしての英語ではなく、与えられたものをこなすものとなり、モチベーション低下にもつながる。対応策としては、英訳を用いるならば、部分作文にすることが有効である。こうすることで身につけさせたい構文を使わせることができる。また、テーマや目的を設定しライティングさせることで、モチベーションを保ち、英語を英語として考える、書く力をつけることにつながる。
 次に、「添削の仕方」だが、私が受けてきた授業では、添削のし過ぎが目立つ。生徒の書いた文の文法事項や綴り、語法などについて多くの添削をして、生徒にフィードバックしているのだ。これでは生徒自身のコミュニケーションしようとする気持ちをそぐことにつながる。さらに、これらの多くは、生徒自身に間違っていることを知らせれば、生徒自身が正すことができるものだ。添削は第一に意味が伝わるかどうかを大切にし、生徒の英語をコミュニケーションのツールとして役立てようという気持ちを育てるような添削の仕方を心がけるべきである。
 現在の高校における英語のライティング指導は、指導要領の目標を達成するには不十分であり、その主な理由として、「短文の英訳」と「添削の仕方」を挙げた。対策としては現在のライティング指導に加え、生徒の英語でコミュニケーションをとろうとするモチベーションをあげるようなないようの授業を行うことである。これらを変化させることで、英語を主体的にに自分の言葉で書くように促すことができる。
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英語教育レポート:日本におけるリーディング指導の改善 

日本の高校におけるリーディング指導の改善
 リーディングの指導を考えていく時に、ボトムアップとトップダウンというものを考慮する。リーディングでのボトムアップとは、文字を見て、単語認識し、情報を得ていくことだ。一方、トップダウンとはボトムアップで得られた「情報」を「スキーマ」を活用させ関連知識を引き出すことだ。そのため、行間を読んだり、類推したりすることと深い関係がある。両者はともに大切であり、本レポートでは、日本の高校での英語教育について、これらの視点から分析して改善方法について考えていきたい。
 現在の高校のリーディング指導は精読や和約が多い。ひとつひとつの文の文法を説明し、日本語に訳していくというのが一般的な授業のスタイルではないだろうか。言いかえればこれらはボトムアップ中心の授業と言える。ボトムアップ中心の精読をしていくことにより、より正確な文法知識や文の構造を読み取る力をつけることはできる。一方これらの弊害として、文の全体像が掴みづらい。また、これは経験によるものだが、授業自体が、文法の説明のようになる。そのため、文章自体を楽しんで読み、内容全体を理解するというものになりづらいので、楽しい授業とは言えない。
 対策は、現在のボトムアップ中心の授業に、トップダウンの要素を取り入れ、バランスをとることだ。具体的には、リーディング活動の前に、正しくスキーマを活性化させるために、教科書の挿絵や、タイトルや、シーシスステートメントからどのような内容が書かれているか話し合わせ、予想させるなどが挙げられる。また、文章のタイトル作成や要約などを読解後にさせることを事前に伝え、その目的で読ませることで全体像をつかませるなどが挙げられる。現在の、ボトムアップ中心の授業にこれらのトップダウンの要素を加えていくことが、「全体像を掴み、なんとなく全体をつかむ力」をつけるのに役立つ。また、これらは、文自体を楽しむということにもつながる。
 現在の高校におけるリーディングの指導で、全てをトップダウンの授業に変えていけば良いわけではない。しかし、現在の授業スタイルは、全体的にボトムアップにシフトしている。これでは文章の内容を楽しんだり、全体像をつかんだりすることは難しい。そのために、リーディング力を上げるために、より多くのトップダウンの要素を授業にとりいれて、ボトムアップとトップダウンのバランスをとれるようにするべきである。
posted by レポートドットコム at 14:30 | Comment(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月05日

精神障害者 統合失調症 アスペルガーの人権についてのレポート

 精神障害者がどのようにして生きていけばよいか、また生きやすい社会はどのような社会か。
 精神障害者が自分らしく生きる、つまり自分のアイデンティティーを保ちながら生きるためには、「弱さを出せる」環境が大切である。そのためには、どのようなことが必要だろうか。
 一般の人は統合失調症に対してのマイナスイメージを持っている。もちろん、統合失調症のマイナス面も多いと思う。でも、モノを創造するなどの面では、プラス面もあるようだ。私は、「べてるの家」がそうであるように、統合失調症を一つの個性として見ることが大切だと思った。3時間しか働けないなら、無理をしてそれ以上働かない。時間は短いくとも、自分のプラス面をその3時間の中に凝縮して発揮する。これは、「病」としてではなく、ひとつの個性として見ているのだろう。
 統合失調症に限らずとも同じようなことがいえるだろう。例えば、高機能自閉症(アスペルガー)だ。世の中の天才といわれる人は、アスペルガーだったといわれているそうだ。一般的には場の空気がまったく読めず、相手の言葉の裏側がわからない。でも、数学や、芸術などに超越的な才能を発揮する。つまり、高機能自閉症というかけがえのない個性を持っているのだ。また精神的なものではなく、身体的ハンディーを背負った人でさえ、その人の個性だと思うことで接し方も変わるだろう。車椅子の人は、車椅子という個性をもっていて、その個性が電車に乗る時に不便なら誰かが手助けすればいい。
 一見変わった個性を持っている人が、自分の居場所を見つけられ、世の中で「ハンディー」ではなく「個性」として受け入れられ、なおかつ、マイナス面の個性を補い合いあうということが大切だ。

posted by レポートドットコム at 14:08 | Comment(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

生徒進路指導 レポート 例

期末試験レポート:テーマと内容
􀂄 テーマ:新聞記事などに現れた事件をめぐる生徒指導の問題について
􀂄 内容
• 記事を探す:学校や児童・生徒にかかわるもの
• 記事(事件?)について紹介する
• 記事に表れた教育上の問題点をまとめる
• 問題の解決について自分なりの提案
• 記事は添付する
􀂄 提出期限等
• 掲示をみてください
レポートの様式
􀂄 レポートとして整った様式であること
• 引用は正確に明確に行い,引用文献リストを必ずつける。
• 適切に見出しをつけて読みやすいレポートとする。
􀂄 A4版レポート用紙5枚以内


生徒進路指導の授業のレポートです。


T.記事についての紹介
 私は,2009年12月1日に朝日新聞の1面,39面に掲載された記事について紹介していきたい。この記事は主に,小中高生の暴力問題について書かれた記事である。1面記事によると,2008年度に確認した小中高生の暴力は,5万9618件で過去最多を更新した。(2009/11/30文部科学省発表「問題行動調査」より)前年比では18パーセント増加しており,3年前の1,5倍になるという。学校種別では,中学校―4万2574件,高校―1万380件,小学校―6484件となっている。
小中高生の05年度の暴力は前年より,微減し約3万4千件だった。これが,06度には約4万5千件と急増。この背景には,文科省がいじめできめ細やかな報告を求めたのに合わせ,暴力についても行為の軽重を問わずに報告を求めたということがあった。ただ,いじめの報告は年々減少しているのに対し,暴力行為の報告は,年々増加の一途をたどっている。
専門家はこの問題について以下のような様々な意見を述べている。文科省,教育委員会は「感情がうまくコントロールできていない」「コミュニケーション能力が足りない」などの子供の変化が背景にあると指摘している。国の作文研究所所長である35年間子供の作文を指導してきた宮川俊彦氏は「子供の思考がパターン化され,深く考えられなくなっている」と語っている。
 39面記事では1面記事を受け事件がエスカレートし,被害者を死に至らしめたケースを取り上げ暴力増加の分析,考察をしている。
 最近の事件の傾向として「問題がなかった子が突然」というケースが増えているようだ。これは「集団心理が暴力を後押し」していると教育委員会は述べている。集団心理が働き「やめよう」といえなくなるのだ。児童・生徒1千人当たりの暴力行為の件数がワースト2位となった奈良県の県教委の担当者は「予測がつかない暴力行為が増えている『目立つ子』だけを指導していればいい状態でなくなった」と話す。
これを受け,「学校内だけの指導だけでは難しくなるなか,外部との連携が必要となる場面が増えてくる」という声も出ている。また「キレずに問題解決できる子供を育てるため」として「セカンドステップ」という教育方法の普及も行われている。


U.記事に表れた教育上の問題点,その原因
 この記事に表れた教育上の問題点,原因について整理していきたい。原因は複合的である。
まず前述したが「感情がうまくコントロール出来ない」ということがあげられる。その原因の一つには仕事至上主義・効率至上主義の考え方だと思う。学校では勉強ができるものが優等生であり,模範とされ教師や学校がそれを求める。仕事主義的な中で求められるのが効率主義である。学校では,よい成績をとることが求められ,効率を上げることが求められる。そして効率が良いことが有能な証となる。勉強をすることに対して不快な感情を抱くこと,その感情は悪者とされ,抑え込むべきものとされてしまっている。その感情を表現できずにでかく膨らみ,コントロール不能になるのだろう。
次に「コミュニケーション能力不足」について考えていきたい。コミュニケーション能力低下の一つ目の要因は,「ゲーム機の普及」だ。最近では,ポータブルのゲーム機も広く普及し,子どもは,いつでもどこでもゲームができる環境になった。それまでの遊びは,三角ベースや鬼ごっこなど子どもの相互コミュニケーションが不可欠のものだった。そんな中で子どもはコミュニケーション能力を磨いていったのだ。しかし,ゲーム機で遊ぶ際には,周りとのコミュニケーションは一切ないため,これを育むことはできない。二つめの要因は,核家族化による家族内のコミュニケーションの機会の減少である。習い事や塾などで家族内の食事の時間はずれ,家族が顔を合わす時間が減少しているのである。
記事の中でNPO法人(東京)理事の渡辺紀久子さんは「少子化で大事にされ,他のことの間で我慢を経験することなく育っている。感情のコントロールが出来ない理由はそこに根ざしている」と述べているが,本当に子どもたちは少子化の中で大事にされているのだろうか。私は,本当の意味で大事にされている子どもは自然にコミュニケーション能力が自然に養われるはずであると考えた。しかし,現状はその逆になっているのだ。ここで,子どもを大事にすると言うときの「大事」の定義をもう一度問い直す必要があると考えた。
 コミュニケーションが上手にとれないため「自己表現」ができない子どもが増えている。そもそも「自分の考えが持てない生徒」も増えている。そのため,「集団」に属することによる安心感を覚え,「T」に記したような「集団心理が暴力を後押し」するような事態が多くみられるのだろう。また,授業を行う側としても「一問一答」のような,教師から生徒への一方向的な教育のため,生徒の自己表現能力は育たない。しかし,成績という面では,前述した効率化のために,「自己表現」できなくても「一問一答」の「一答」を正確に答えられれば問題ないのである。更に最近では学校と病院の連携も多くなってきて,その連携の必要性を問うているが(記事より),病院に受診するケースとしては発達障害の問題も含まれているように思われた。
私は暴力事件が増加する背景には上記のことが存在すると考えた。これらを解決するために
(1) コミュニケーション能力が低下している子どもに対し,学校教育にはどのようなことが求められているか
(2) 家族の教育力向上のためにはどのようなことが必要か
(3) 生徒を指導していく上で,どのように外部と連絡していけばよいのか
について考えていきたい。



V.小中高生の暴力行為増加に対する解決策の提案

(1)コミュニケーション能力が低下している子どもに対し,学校教育にはどのようなことが求められているか
 私は,学校がコミュニケーション能力を向上させるためには,「学校=勉強」の場のみでは無く,学校生活(特にクラスやクラブ活動)を通し学校が人と人とがコミュニケーションを行う場となっていく必要があると考える。つまり学校のクラスやクラブ活動の場が,単に彼らの「所属集団」ではなく「準拠集団」になることが大切だろう。準拠集団と所属集団の違いとは「準拠」という言葉が表すようによりどころかどうかということである。ひとりの生徒が単にクラスの一員というだけでなく,心から「自分を受け止めてくれる場所である」と言われるような場になることがコミュニケーション能力向上には役立つだろう。人は,自分の意見を聞いてくれた経験が,自己主張をする力になる。そのため,よりどころがあれば,コミュニケーション能力は向上するだろう。また,意見を聞いてもらった経験が,今度は意見を聞く立場にさせるのだ。
 それでは,どのようにしたら所属集団を準拠集団に変化させていくことが出来るだろうか。最も大切なことは,先生の在り方にあると思う。前述したが,意見を聞いてもらった経験を生徒にさせるために,その重要性を先生に教育する。そして生徒指導や進路指導,道徳教育,時には授業中にそれを生かしていくことで生徒の準拠意識が徐々に高まるだろう。信頼関係が徐々に構築され,生徒にとって拠り所が出来る。その中で,自己主張をしたり,受け止めたりする中でコミュニケーション能力は向上するだろう。
 このように先生の在り方が,生徒にとって,クラブやクラスが準拠集団であるかどうかに大きく影響しているだろう。そのため先生の教育がたいせつであり,受け入れてもらった経験が,将来的にコミュニケーション能力を育てるのだ。
 (2)家族の教育力向上のためにはどのようなことが必要か
 まず前述した問題点「子どもを大事にする」という意味について考えたい。記事の中に出てきた大事にするという意味は,モノを与えたり,好きなようにさせたりというようなことである。この中で子どもは,我慢することを覚えない。そして,子どもの気持ち思いを聞いたり,一緒に大した時間を過ごさなかったりするのに文句を学校に言って来る「モンスターペアレント」も多く存在し,問題になってきている。このような親に上記のような意味で大事に育てられた子どもは感情をコントロールする力,自己表現力,コミュニケーション能力などは身につかないだろう。それらの力を家庭で身につけるには,テレビやビデオ,ゲーム機などの機械のみに育児を任せるのではなく,一緒に過ごしたり,話しをしながら食事を食べることを習慣化したり, 時には厳しく叱るなど真の意味で子どもを「大事」に育てることが大切だ。
 では,「学校」は,どのようにすれば親が子どもを真の意味で大事に育てるようにさせられるだろうか。あるモンスターペアレントが運動会の組み立て体操を見て「なぜうちの子どもが一番上にのってないのですか」と文句を言ったそうだ。始めはカンカンになっていたその親も,教師が運動会の組み立て体操の意義について説明したら納得して帰って行ったそうだ。これは,現状の断片でしかないが,このように,学校で起こっていることを親が理解していない状態では,自分の子どもを教育出来るわけがない。このように,親が子どものことや学校の状況を知らないケースが多すぎるように思える。家族内のコミュニケーションが不足していることを表していると言えるだろう。
まず,家庭訪問などで子どものことを親に興味をもってもらうために「親」にたいしその子どものことを「褒める」ことがあげられる。もちろん子どもの事を褒めることも重要だ。子どもが学校で褒められた話しを親にすれば,親と子のコミュニケーションが存在する。そして,学校にもっと興味をもってもらい,学校の事を理解してもらう。また,親同士の親睦の機会を多く持ち,親同士の意見交換,問題,悩みの共有の場をつくり学校が提供していくことが家族の教育力向上に役立つだろう。

(3)生徒を指導していく上で,どのように外部と連絡していけばよいのか
 現在,ADHDやLDを代表とする発達障害が増えている。そのような生徒が暴力問題を起こしてしまうことも多いようだ。ADHDの主症状は,注意欠陥や多動であり適切な指導をしないと,不適応をおこし暴力などの問題を起こしてしまう。また,LDは学習障害と訳され,LDの子どもに勉強を強制的にさせても,効果が出ない。
 しかし,学校の教員は発達障害の専門家ではないため,上手な対応の仕方を知らない。一方,医者も教育の専門家ではないため,単に病院にかよわせれば,学校生活に適応出来るようになると言うことでもない。このように,学校のみ,病院のみが単独で問題を解決するために動いたとしても問題は解決しないのだ。
 病院と学校が連携をしていくことで,問題は初めて解決方向に進んでいく。学校は病院に学校での状況を詳しく話す。逆に病院は先生に対し,生徒への接し方や対応策,症状などを教えるなどの相互協力が必要である。生徒指導にも同様な面がある。新聞記事にも書かれていたが,生徒指導はもはや警察との連携も不可欠になっている。さらにはスクールカウンセラーを生徒指導の分野で活用すると同時に,先生へのコンサルテーションも期待されている。
 このように,それぞれの専門家が個別で動くのではなく,相互協力,相補的に生徒に対応していくことが不可欠だ。


Wまとめ
 近年,ライフスタイルは大きく変化した。核家族化,共働きが進み,ゲーム機が普及した。それに加え,治安上の問題で子どもが安心して遊べる遊び場も減少している。またレポートには取り上げなかったが,携帯電話の普及は子どものコミュニケーション手段を大きく変えただろう。さらには,ADHDやLDなどの発達障害の子どもの問題も多くなってきている。
 このような現状の中で今までと同じ教育をしていては,子どもの質が変化していくのは必然と言えるだろう。もちろん,科学技術が進歩し生活が便利になったりすることは,メリットも多い。しかし,ライフスタイルが変化し,子どものコミュニケーション能力や親の教育力が低下をしているのは事実である。これに加え発達障害が,子どもが暴力問題を起こす原因になっているのだ。
 現在,ライフスタイルの変化により引き起こされたデメリットを補うモノが学校に求められている。それがV(1)(2)に記述した「先生の在り方を変える方法や保護者の教育である」というのが私の意見である。また発達障害は,(3)に記述したように教員のみではなく専門家などの外部との相補的連携が大切だ。ライフスタイルなどの現状が変化してきたなかで,学校に求められてきているモノも変わってきていると同時に,増えてきているだろう。


参考文献
http://www.orange810.com/colum/000204.html 
http://www.edu-konan.jp/kenkyujo/jigyo/jigyo_02.pdf
発達障害といじめ・暴力  かもがわ出版   編著 楠 凡之(2008/08/20初版)
心の子育て  朝日新聞社   著者 河合隼雄 (1999/03/25初版)
posted by レポートドットコム at 14:02 | Comment(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

教育原理 問題・レポート提出に役立つ講義録8〜13

教育原理の講義録です。教育原理はどの大学でも教職課程に必要なものです。それは明星大学のような通信の大学でも同じですね。レポート提出にしても、論述の問題にしても、多くの情報を知っておくことは悪くありませんね。ということで教育原理の講義録をアップしています。
前回の記事
教育原理 問題・レポート提出に役立つ講義録1〜7こちらです。

それでは続きです。


教育原理 8 

何を目指して教育するかを考えるのに有効な手がかりとなる部分の解説



復習(頭に入れておくべき背景)
近世 庶民→家職
   武士→家業

近代 国民(臣民)
   ↓
現代 国民
   人格

*現代は国民に経済や政治を教える手段としての教育である
  目的:経済、政治
  ↑
  手段:教育



@ 聖と俗

<聖>
・師   表
教師   手本
理想の為政者
宗教の師
・清浄、尊厳
・神聖


<俗>
・風俗、習俗、風習
・世間一般、世俗、俗世間
・ごくありふれたこと、通俗的であること
・平凡、凡庸
・いやしく下品であること、卑近なこと。
・宗教的でないさま


『孟子』
・教化
 為政者に感化する
 一人の人間が一人の人間のうちにとどまるのではなく、普及させていくという考え方

〔聖体示現〕ミルチャ・エリアーデ(カトリックの宗教学者)
 
実在;真実の実在
永遠性;我々は永遠ではない 
    人々は永遠を求める


造成力としての聖
聖⇒均質性、メリハリなし、意味のない空間
聖とは空間
聖なるもから顕れる
               
〔祭儀〕
神の存在を再発見したいという希望
強力、新鮮かつ純粋な世界に立ち戻りたいという憧れ
聖なるものへの渇望

〔近代社会〕非宗教的人間、非聖化
→近代社会の危機(物質文明がもたらす退廃)
人間の尊厳回復の問題として
特別な時間・空間を再現しそれを尊重すること

⇒ ポイント教育の問題として

*宗教の教育的役割を現在あまりにも排除しすぎている

・聖性を重視してきた前近代教育
仏教・儒教・日本古典→学問 (内面的な自己形成世俗)
聖俗調和の庶民教育(功利と低俗への抑制)

・世俗化を推進した近現代教育
公教育の原則(知育中心、市民・国民の育成)
富国強兵、経済発展の人的手段
宗教教育の制限 

・社会と教育の行き詰まり
→特殊な時空としての学校をいかに再生すべきか(聖性の復権と世俗への反撃=j

理想論ではあるが世俗化した教室を、神聖化することが求められている
○俗→○聖(宗教、教育)

※生きる上での便利さ、快適さを追求しながらも、自身、どうしても守らなければならない一線を見出し、そのことと教育とを関連づけて下さい



A 公と私

『伝習録』
公=天理
 =道徳的局地
 =明徳
 =心(本来素晴らしい)
 =理想状態
*公と私(欲)の対立的な構図


⇒教育の問題として(1)
公・・・政治権力
    戦後:エゴイズムの社会
私・・・わきやく

官から民へ
この民は大企業の利益優先
裏での国の一極集中を成立させる
弱肉強食の社会

対立していたらいけない公と私→俗化してしまう


黒住真氏(倫理学・日本倫理思想史)の見解
私的 ⒈個人・二人称の関係、 閉じた次元
→親密な共同性(他者と私的なものごとを共有)

⒉人間的な欲求、生産
創造の根底
自己の生育、自立の前提  
 
公的 三人称的な関係 開かれた次元
→公共性 
→公と私の共存可能性、相互不可欠性、教育の発見

*公が優れていて私が劣っているというわけではない
*○私的個人が○公共を開化させるような聖と俗とのバランス


⇒教育の問題として(2)
これから
対立させない公私(個人・共同性の育みを社会公共に開花させる)→学校教育の聖性と特異性と絡めて
(学校が聖的であるべきことを示す)
⒈教育の基点としての私事性、聖性(人間として大切なものを育てる時空を、内向きに守り抜く)
一面としては閉鎖的

⒉公・俗との柔軟な接点@→正しい公共性と世俗性をどう教えるか

⒊公・俗との柔軟な接点A→巣立ちの方向、帰巣の方向(厳しさと甘え・癒しとが共存する学校、家庭と社会との間)



まとめ
⇒俗に立ち向かうものとしての聖
 人間尊厳回復
 →理想的
 
→宗教教育のアプローチ
 特に俗悪になってしまう(国家神道など)のため、注意が必要

→人間尊厳回復
エリアーデはカトリックによって述べた
時間・空間
学校につなげる

聖なるものは自ら顕われる



教育原理 9 10

@私人教育論・文化人教師論の提唱
 ひとつの意見
・私塾と私学の理念と公共哲学との接点より(町人文化や庶民教育とも遠くない)

・私的個人と親密な共同性とを大切に育み合い(自暴自棄にならない教育)その前提のもと、私人的良識をもって社会公共に関わることをめざす

・文化(×利害)への愛好を伴う誠実な人柄は、子どもの私的個人たる内面性に働きかけることができる

・(×権力による教育の手段化、つまり悪しき公人化)地域分権的
な文化主体としての教師になって欲しい

・技能以前に教養が求められるのはなぜか(書物が読める→言葉への意識→話す仕事への自覚、つまり職業倫理へ)

・手掛かりは先人たちの思想の中に

前週の部分が最も伝えたい部分
前回の内容を、言い方を変えて、私人教育論を語る。


A 荻生徂徠(おぎゅうそらい) 1666〜1728 
江戸中期の儒学者
日本の代表的思想家
8代将軍の享保の改革に出した、政策提言書

「政談」
 稽古事・・学問を含む
 公役・・・奉公
→強制で済ますのは、安直である
 好きな人が、自発的にするのが学びである

学問ハ公儀ノ勤トハ違テ、畢竟内証事(学問は、幕府の勤務と違って、結局プライベートに好きにやるもの)ナレバ、勝手(都合が)ヨクアラネバ成ヌ事也。

『徂徠先生学則』・・・非常にすばらしい
聖人の道
⇒為政者階級に限定された学問、庶民の学問は否定的
(文・質の「徳(為政者に必要なもの=学問)」を兼備する「材(徳のまま社会に役立つ者)」→有効な政策提言)

⇒対幕府における、私的教育
学問の私事性
半強制
*知識人の特権性を擁護する落とし穴も
 特権的な閉ざされた空間になってしまい得る


B 本居宣長 1730〜1801 
国学者
町人
物あはれを知る
『石上私淑言』
もののあはれを知る=心ある(人間の理想)
      知らぬ=心なき人
⇒儒教道徳に対抗
 儒教道徳を踏襲している武士社会に対抗
 町人理想の社会の実現を目指す

『初山踏』
学問はー・・・ずっと細く、長く続けなさい
学びようはー・・どんな学び方でもよい
        好きなように学びなさい

⇒町人本位の私的世界
(⇔武士的・儒教的な道徳規範―強さ・賢さのみの偽善性―を批判)
 強さ賢さで成り立つものは、建前にすぎない
 真心で成り立つ=商売人の社会という意義

⇒真情の尊重
(物事への共感→知的認識→美的洗練、悲しさと弱々しさが基調、≠一方的・衝動的な欲望)
 和歌を詠む=美的洗練

⇒学問
確保すべき時間的余裕
対象・方法の自由


C 新島襄 1843〜90
「同志社大学設立の旨意」1887.11
英学=英語を通じて様々なことを学ぶ
人民=民間
文弱武断

良心教育
基督(キリスト)教主義の教育
→布教、信教ではなく、道徳教育
内面の教育

文明開化(物質的文明尊重)の是正
→国の政策・・・国民文弱の気風
強制的に躍起になっている
人為強迫的
新島襄の批判・・・天真爛熳(自然のままで飾り気がなく、ありのままにあらわれる) 自由の内自から秩序を得

『国民之友』
→私立大学の存在意義
→内面性の重視
  基督教主義、良心教育
  良心、品行、徳性を重視

→道徳的自立に基づく、自治、自立
管理と強制による国の教育に反発している
 
 →学問の私事性
徂徠と共通する部分は本当に小さいように感じるが学問の私事性のみは共通している


まとめ
⇒私立大学の存在意義/物質文明一辺倒への予見→内面性の重視(良心、品行、特性)/管理と強制による教育⇔道徳的自律に基づく、自治・自立の人民/超俗・禁欲を踏まえた修学、さらに実業への貢献/学問の私事性を近代(西洋文明、殖産興業)に継承 



教育原理10

@ 教育方法の近代化  

(1)前近代:権威ある書物の習得
初歩→対面と自学(補助機能としての競争)
中級→共同学習(理解・自己形成の果てしなき深化)

(2)近代:効率主義・一斉授業 試験と学歴→人材配分
多くの規格化された内容を子供へ(教授・理解の規格化、)
     


A 「型」の教育と礼法の文化
しつけ、あいさつ、生活習慣、儀礼、習い事、課外活動、武道、芸道

(1)「型」の教育
 ⒈範型への模倣・習熟
⒉信頼関係(師弟の礼)
 ⒊工夫する主体性
 ⒋心技体の全面発達(内的充実、外的洗練)
源了圓『型』(創文社)  『徳川思想小史』『義理と人情』『徳川合理思想の系譜』(中央公論社)、『近世初期実学思想の研究』(創文社)
[型]、[稽古]、[模倣]、[無心]、「型」の項目はレジュメの内容そのままを先生が説明しました。


(2)お稽古文化の浸透
 ⒈子どもの情操教育
 ⒉大人の嗜み・社交(超俗の共同性)
 ⒊民間主導(習い事≠学校)   


(3)礼法の文化圏
 ⒈心を活かすための知恵、約束事
 ⒉文化的無秩序の回避(民間習俗〜国家儀礼)
 ⒊巧言令色と外的統制       

 
⑷問題提起
 ⒈近代学校教育にも必要不可欠な外的存在
 ⒉生涯教育に活かしたい知恵 
 ⒊学校に導入することの可と不可と  



教育原理 11
実用・専門・職業準備教育隆盛の今、私的個人の内面性を育むために、学校教育において看過できないことを考えて欲しい

@ 何を教えるか=@
今日の授業の序論

(1)選択と配列 

文化財 <広い意味では人類の作り出したもの全て>

学芸・教科 <系統・段階的編成=易→難、普遍的伝達手段>

教材 <学習指導要領、検定教科書、広域採択制>教具
    教科書検定・・・文科省のチェックあり
            学習指導要領に基づく
    広域採択制←教科書の無償性(義務教育の小学校、中学校)
         文科省が買い取り公立学校に配られる
         各市町村で買い取り単位がある
   教具・・・・教育内容、文化は含まれない
     黒板、新しいビジュアル系機器、コンピューター機器
    といった教育に用いられる機器

(2)教育のメデイア
従来 書物が大半、理論中心←基礎
*座学のほうが心の中では活発に動いてメッセージを発信しているのかもしれない
*座学の辛抱ができない生徒が、他の学習法で意味があるのか
*見た目派手でうけのよさそうな参加型学習によって、お祭りみたいな教室になってもよいのか。
⇔(批判として)実物教授(直観)、体験学習
マスメディアや大衆文化とのかかわり

*どちらも大事な中でどう大事にしていくか?
これから職についていくうえで考えてほしい


A 教養と実用学、その歴史的展開   
(1)前近代
 教養重視と実用(学校の枠外)蔑視
為政者・知識人(⇔肉体労働)に限定
古典語の修得→文化的洗練=優れた人間性   

西洋→リベラル・アーツ、アリストテレスの自由七科(文法 修辞 弁証論 算術 幾何 音楽 天文) 
中国→六芸、四書五経 
日本→⒈仏教、儒教、日本古典→学問(学文)=本格的な教養、外来文化の受容から固有文化の形成へ
⒉学問と諸芸、実学、お稽古文化→教養の多面性、実用学との共存、庶民の享受(近世中期〜、出版文化と共に)
 
今の日本は実用学増えて実用学ばかりになっている。
逆に教養の部分は減って少なくなっている。
この傾向が強くなりすぎることは問題では?


(2)近代
国民教育
→庶民も国民になるための教育を受ける、生きていくための実用的な学問
近代科学
→産業発展のための学問
*実用学の地位向上

*教養の再認識(専門分化の過剰→人間としての根源的共通性・連帯性を求めて)
→市民すべての人がうける教養
 近代化の中で、職種が様々になってくる
  学校の種類も様々になってくる
       ↓
人間としての共通すること、連帯することが希薄化し、現代は競争社会がある。


実学=学問+実用学 
 
 初等教育⇒普通教育(基礎・共通の教育⇔職業・専門教育)
→(内訳)@実科(読書算、母国語、公民教育、自然科学)、Aナショナリズムの涵養(国民道徳) 
B一般教養(近代市民の資質、エリート独占から脱却、人文・社会・自然科学の現代的成果、実際は中等教育以降)←小学生にはやや早い

中等・高等教育⇒普通教育(一般教養中心)
職業教育(普通教育と対)
専門教育(普通教育と対)

職業教育・・・各産業部門に対応、職業準備教育
専門教育・・・有能なプロ・専門家養成 


戦前の日本→分裂の実態
⒈教育(義務教育、→国民、普通教育の基礎)と学問(高等教育、→エリート、本格的な教養と専門性の独占)の分裂
⒉正系(中/高・大、教養・学問)、傍系(実業/師範・専門学校、職業・専門教育)、性差(高女/女専、良妻賢母主義) 

(3)現代 
分裂の統合の試み
最近の路線→専門教育の専攻


新制高校・・・三原則(統合性、男女共学、破学区制)
統合性→職業科と普通科が同じ学校で学ぶ
    教養と実用学の統合

新制大学・・・教養部と学部、一般教育と専門教育

学芸大学・・・一般教養を踏まえた教員養成
       今の教育大学

総合学科(あらゆる職業に共通する実際的技能の習得)、専門高校(職業学科のレベルアップ)、大学における産学連携(専門教育重視の表れ)


B 提言
・社会・経済的な必要にせきたてられ、職業・専門教育は進んでゆく≠セろう(前提としての基礎基本の徹底が「ゆとり教育」)
・教養教育の革新を追いつかせないといけない(坐学や受け身上手があってこその内面性/重要なバイプレーヤーが参加・体験型)



教育原理12 13

@ 均質化・画一化(初等教育、国民教育)
→国の意図、同じ国民という意識に
社会的選抜(中・高等教育、教養・職業・専門教育、中堅とエリート)→小学校中学校後に進む学校が変化することで、学校を通じて分けられてしまう。

A複線型(身分・階層別、複数の頂点)
 単線型(機会均等と競争原理、戦後日本)
 フォーク型(二層構造、戦前日本)

戦後 学校教育法 1947〜
小学校  基礎  →初等教育
中学校  基礎の上→中等普通教育
高等学校 基礎の上→高等普通教育及び専門教育
大学 学術の中心 最高学府としての役割

道徳教育が問われている
応用能力→産業界への実用で生かす

戦前
初等教育、国民学校令、中学校令、高等女学校令
それぞれの年数はレジュメ参考
年数まで覚える必要はない
*昭和の戦前;進学のニーズが高まり、学歴社会へ
       しかし、学校の数が追いついていないので、受験戦争に
実業学校令 1899 職業教育≠普通教育
中等学校令 1943 皇国ノ道
(原則4年、高等女学校2年、実業学校3年も)

高等教育

帝国大学令 1886    国家ノ須要ニ応ズル学術技芸ヲ教授
高等学校令 1894    専門学科ヲ教授←自然に消えていく
帝国大学ニ入学するためのもの
1918改正 高等普通教育ヲ完成→目的
国民道徳ノ充
専門学校令 1903 高等ノ学術技芸ヲ教授 (実践に近い)
大学令   1918 国家ニ須要ナル学術ノ理論及応用ヲ教授
         帝国大学以外の初めての官公立、私立が大学として認められた

教員養成

師範学校令 1886 職業教育の目的を定める

⇒近代学校教育に「学問とお稽古」は継承されなかった


@学校設立の歴史的性格
学校の起源 文字を教えるということ
      文化の継承
「官立」の流れ 国家エリート
「私立」の流れ 民間自生 学問

A古代 飛鳥、奈良、平安
「官立」学校の創設 律令制政治理念
私立学校の補完、独立 大学別荘

B中世 鎌倉、室町 
仏教と教育のつながり 今ももっと生かせるのでは、、、

C近世 江戸
武士教育 昌平坂学問所(寛政の改革)が自由学問でない学問のルーツ→人材派遣と就学強制
庶民教育 文字社会、商業出版、庶民文化
     →寺子屋、習い事
私塾   「=私立」学問の革新
郷学   「≠私立」幕府、藩の郷村の教化目的


以上教育原理の一授業の講義録を書いてきました。様々な問題提起がされていますので参考になるところがあれば幸いです。またレポートを書くときにも役立ててみてください。
また、教員採用試験や明星大学などの通信の大学でも教育原理は学ばれているようですね。
以上講義録8〜13でした
教育原理 問題・レポート提出に役立つ講義録1〜7 はこちらです。
posted by レポートドットコム at 13:41 | Comment(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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